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アメリカの原点
【83】「フランクリン自伝」ベンジャミン・フランクリン著
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浩哉
2024/10/26

ベンジャミン・フランクリンの「フランクリン自伝」

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前回は、そのよくわからない時代背景を愚痴りました。

今回はそんな時代で躍動した彼の考え方についてです。


この作品、この方自身が自分の自伝を子供のために書いた本?メモ?をまとめたものです。

自伝の実際の出来事としては、彼の50歳頃までのお話しか書かれてないってのが残念です。


〜〜個人的な見どころ〜〜

①とにかく勤勉で、しっかりとした倹約家

ほぼ家出同然で見知らぬ土地で、印刷業をしながら、働いています。

そこから自身の家計の収支をプラスに保っておく事にすごく神経を注いでいます。


ひょんな事情から、ある人のお金を預かっており、連れ合いにそのお金を貸しつけて、返ってこないことに凄く神経を使っています。


この辺の感覚。立派だなと。


資本主義が、どこまで深く染み入ってる時代なのかわかりません。それでも、この美徳は同時代の、それこそ主人公の連れ合いと比べていても際立っていたと思いました。


あとは、本好きです。

この時代も、まだ本は貴重だったと思います。

印刷が盛んになったといってもですね。


それがこうじて、図書館をつくったり、大学を作ったりします。今でいう、ペンシルベニア大学です。

彼が作った図書館も、フィラデルフィアのロッカスト通り1300番地にまだあるようです。


②道徳的に完璧な人間になる

要は、自分自身を常に向上させる!

ってのを心がけてました。

そのために、13の徳目を掲げ、メモに書いていたようです。

今週はこの徳目を重点的に守ろう!みたいな感じで。

13の徳目は、節制、沈黙、秩序、決断、倹約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、冷静、純潔、謙虚になります。

なんか、えらい事、えらい種類書いてるな!って感じですが、

ひとつひとつ、緩やかではあります。


例えば「節制」

大仰に書いていますが、

中身は、「飽きるまで食べないこと。酔うまで飲まないこと」

と、食事に限っています。


彼自身が、特定の宗教を信じきれない、当時としては珍しい人種だったから、余計に、道徳的に完璧な人間になろうとしてたのかもしれません。


③公共精神の塊

そんな、道徳的に完璧な人間になろうとしている彼。

やっぱり公共精神に満ち溢れてます。


おそらく、印刷業で新聞を作ってたりしたことが多大な影響を与えていたのかもしれません。

あとは、論争大好き人間だったようで。


今でいう、ひろゆきみたいな、ま、ひろゆきは別に論争は好きではないんだろうけれども、世間一般のイメージのひろゆき像に近い人だったのかもしれません。


新聞のウリだったんでしょうね。論争とかコラムというものが。


とはいえ、そのために、他の宗教の言い分を理解したり、他の宗教の説法を行う場所を提供したりするのは、なかなかできる事ではないと思います。


そういった活動の資金集めは、有力者の寄付を募ったりして行なっていたようです。


その寄付を募るのも、ちょっとしたコツを使ったのもあるようですが、用途が誠実で、透明性が高いのが何よりだったと思います。


大学なども、そんな感じで作ったようで。


そういった公共精神にあふれる活動をしていたので、議会の書記に選ばれたり、議員になったりしていったんだろうなと思います。


〜〜まとめ、雑記〜〜

印刷業の仕事で成功して、情報を抑え、事情通になり議員になる。

恐らく、この時代の最高の成功のルートを辿って行ったと思われます。


だけれども、その時々で、自身が継続している徳目や、公共の精神、個人の向上心、探究心の絶妙なミックスが、彼を枠にはまらない偉人にしたんだなと。


植民地にいたんですが、その植民地を治める知事が、イギリスに納めるお金を自分だけ払わないようにしてるんですね。


現地での法律をいじって。


そこを、フランクリンは「良くない」って感じで、議会でしっかり論争します。


最終的に上手く行ったり行かなかったりのようですが、その論争も公共の精神から来てるので、激しい論争の後に、知事と個人的に会ってもそこは別で、楽しく食事とか出来てたようです。


やがて、植民地の代表っぽくなり、外交官を務めたり、軍を率いたりするようになっていきます。


自伝に記されてるのが、作者が50歳頃までのお話しかないので、それ以降の彼の人生と成し遂げたことを調べてみました。

ってか、AIに聞いてみました!

歴史モノなので、こういうのに間違いは少ないかなと。


「1. イギリス代理人としての活動 (1757-1775):

- ペンシルベニア植民地の代理人としてロンドンに滞在し、植民地の利益を代表しました。

- この期間中、イギリス本国と植民地の関係悪化を目の当たりにし、次第にアメリカの独立支持へと傾いていきました。


2. 独立革命への貢献 (1775-1783):

- 1775年に帰国後、大陸会議の代表となりました。

- 1776年に独立宣言の起草委員の一人として活動しました。

- フランスへの外交使節として派遣され、フランスの支援を取り付けるのに成功しました。これがアメリカ独立戦争の勝利に大きく貢献しました。


3. 外交官としての活動 (1776-1785):

- アメリカ初の駐フランス全権大使を務めました。

- 1783年のパリ条約(独立戦争の終結を正式に認めた条約)の交渉と調印に携わりました。

4. 合衆国憲法の起草 (1787):

- 81歳の高齢にもかかわらず、憲法制定会議に参加し、合衆国憲法の起草に貢献しました。

- 妥協と統一の重要性を説き、憲法批准の支持を呼びかけました。


5. 社会改革活動:

- 奴隷制度廃止運動に参加し、議会に請願書を提出しました。

- 教育の普及や公衆衛生の改善など、様々な社会改革に取り組みました。


6. 科学的探究の継続:

- 政治活動の傍ら、科学的探究も続けました。

- 二重焦点レンズの発明や、メキシコ湾流の研究などを行いました。


7. 著作活動:

- 多くの論説や書簡を執筆し、政治や社会問題について意見を発信し続けました。

フランクリンは1790年、84歳で亡くなりました。彼の晩年の活動は、アメリカ合衆国の基礎を築く上で極めて重要な役割を果たしました。外交官、政治家、科学者、そして思想家としての彼の多面的な貢献が、「建国の父」と呼ばれる所以となっています​​​​​​​​​​​​​​​」



ちなみに、1の最初の方は、本書の最後の方で触れられてますね。


いや、それにしても、晩年のパワーの凄いこと…。

ってか、これらで書かれてる行動も自伝のなかの彼のキャラと一致していて、どのような心持ちでいたか?ってのが伝わります。


最後まで生き方がブレず、進み続けた稀有な人だったんだなって思いました。


では、また。